『羅小黒戦記』を観てきました めちゃくちゃ試される良作……!
こちら、2020年11月上旬に映画『羅小黒戦記』を観てきたときの、初見時の感想です。
noteに書いていたものからの転記です。元記事はこちら。
『羅小黒戦記』を観てきました。
大興奮しながら観たのに、観賞後のダメージがすごくて涙を堪え震えながらコーヒーとモンブラン(大好物)を楽しみました。
気持ち、思ったことや考えたことがちょっと膨大すぎたので、いったんまとめたくて、映画を見て「理解」したことを書き記しておくことにします。
まだ1回しか観ていないし、パンフレットちゃんと読めていないし、映画以外のものを追えていないので、もしかしたらズレたこと書くかもしれません。
(し、加筆したいことも出てきそうなので、したら随時更新していきます)
『羅小黒戦記』、ものすごく大好きな作品で、もうあと10回は観たいし、設定資料集欲しいし、美術集も欲しいし、コミカライズもノベライズも欲しいです。
アクションがものすごく迫力ある一方、「怖い」表現はなく、幅広い年齢のみんなが観られそう、というのもとてもステキ。
なのですが、
『羅小黒戦記』って、「背景美麗! スーパー爽快アクション最高!」の超高品質エンターテインメント作品でありつつ、ストーリーがとても、かなり、難しくないですか。
リテラシー試されませんか。
鑑賞者への信頼と、作品をつくる側の姿勢が必要最低限まで提示されている、とも思うのですが、難しくないですか。
だって『羅小黒戦記』、迫害されたマイノリティ内部での、マジョリティ対策にまつわる姿勢の相違に端を発する、戦争の話じゃないですか……。
以下、映画を観ていることを前提に書きます。
なので、映画自体のあらすじとかも書きません。映画観てない人には、とてもオススメできない記事となっておりますので、ご注意ください。
1、離島組は「迫害されたマイノリティ」である
妖精として描かれていますが、彼らは要は、迫害され住処を追われた先住民族ですよね。
迫害された仲間を集めて、離島で暮らしている。
あまりに慎ましいし、住処を奪われた先住民族でマイノリティである、という点、純度100%の「被害者」じゃん……
その彼らの起こした戦いが、あのラストを迎えるって、しんどくない?! と、思いました。
2、でも、離島組が戦っていた相手もまた同じ「迫害されたマイノリティ」……
これで「館」メンバーが人間だったりしようものなら「は?! 私は风息の味方だし?! 綺麗なこと言っても所詮は自分たち属性の罪を棚上げしたマジョリティの、都合よく”正義”を盾にした傲慢だろうがよ!!!!!」となるのですが、違う……。
「住処を追われた先住民族というマイノリティ」である点は、離島組と一緒。
違うのは、
- マジョリティに対して殺戮を含む可能性のある闘い(無謀、味方こそ全滅の恐れあり)を挑むか
- 理不尽や屈辱を知ってなお、共存の道を探し、生き延び、やがてのびのびと生きていける環境を作っていこうとするか
という点。
あれ……? 『黄金の王 白銀の王』……?
というか、マイノリティしか描いていない。
なんということだ…………。
3、「館」は多様性を含みつつ、あらたな価値観や生きる場をすでにつくっている
「館」のメンバーは、そのスタンスが多様である。
人間嫌いもいれば、人間好きもいる。
无限嫌いもいれば、大好きな子もいる。
人間嫌いでも、人間の作ったツールは愛用していたりする。
たぶん、「館」システムになんの引っ掛かりもなく賛同している妖精ばかりではない。
风息に対する感情だって、「わかるよ」「好きだよ、憎めないよ」という妖精もいるのだろう。
それでも、選んだ在り方がただ違ったんだな……つら……
花屋の妖精さんのみならず、500人もの妖精が、もう人間とともに暮らしている。
長い時間と忍耐をもって、切り開いてきた「生きる道」。
離島組の在り方を(やり方はともあれ)否定したくない、してはいけない、というのと同じくらい、「館」の在り方だって、否定はできない。
というか、物凄いことですよ……館、守りたい…………守られて欲しい…………
4、彼らは切羽詰まっていたし、彼らも切羽詰まっている
风息のやり口。
あまりに犠牲をうむし、「味方」である存在たちまで裏切るし、命を奪うし、もちろん周到な用意をしてきたのだろうとも思わせつつ稚拙な部分もあるし、「間違ってる」ことだらけではある。
私は三宅乱丈さんの『pet』を履修済みですので……风息が小黒に行ったのはつまり、命のみならず『pet』でいうところの『山』を破壊し、奪う行為だったのだろうと思います。
それはさすがに、あまりにも残酷……
(三宅乱丈さん『pet』、名作ですのでぜひどうぞ!!)
でも、きっともう無理だった。
ずっとずっとできることをやり続けて、ダメで、それでもまたやり方を探して、迫害され生き場をなくした仲間を助け、「館」とはスタンスが違うから狙われ続けながら、理不尽を抱きながら何十年も何百年も故郷を追われて暮らす生活。
忍耐はもうずっと使い続けたコマンドで、限界まで使って、擦り切れてしまったちょうどそのタイミングだったのだろう。
风息、本来はむしろ、穏やかで忍耐強さのある妖精と思う。
だってあの「作戦」の目的は、一息に人類皆殺しにしよう、とかではなく、「館と交渉すること」だったのだから。
交渉すらままならない幾星霜の日々を耐え忍び、結果としてただ限界を迎え、超えてしまっただけなんだろうな……。
一方、館。
风息と話し合い、もっともっとしてあげたらよかったのに。
「耐えきれない」というスタンスだってあなたたちなら理解できたでしょ? もう少し歩み寄ってあげてもよかったのでは?
対マジョリティ(=人間)と同じくらい、忍耐強く歩み寄りを続けてくれてもよかったじゃない……
とも、つい思ってしまうのだが、館にだって余裕はなかったのだろうな。
多様性を抱えるというのは、気力・体力・胆力を要することだから。
しかも圧倒的強さを持ったマジョリティ相手に、「殺さない・殺させない」ために、「存在をバレないようにする」とかいう、超高難度のことを達成する日々を送っている。
※もちろん「個」で見たら、人間より強力な妖精なんてめちゃくちゃたくさんいるのだろうけど、集団とか構造で見たら、妖精はマイノリティです。
館は館で、多分、毎日が綱渡りだ。
「生きていくためにこんなにも耐え、考え、尊厳を守りつつ生きるために必死になってるのに、あいつら好き勝手しやがって〜〜〜〜〜」みたいな気持ちがめちゃくちゃ強くても不思議ではない。
綱渡りの綱を切りますスタンスでいられたらそれは物凄い脅威だし、実際に揺らされまくっているのだから、「もうやめろよ!!!!」ともなる。
余裕のないマイノリティと、同じく余裕のないマイノリティとの、生き方闘争。
という構造の中、離島組にも「館」に属することなく、双方を一応は見るに至った小黒という存在の選択は、”新しい世代としての、現状で”選びうる、生きる上での尊厳を守れる、実現可能性の高い生存戦略として”当然で、納得感が高い”ものだったのだろうなと思います。
彼の性格に寄るところも大きいとか、风息にまだもう少し余裕のあるタイミングだったらとか、无限が无限のようではなく、あの旅があのような時間でさえなければ……など考え出せばキリがないですが、そういうifには、ならなかったので。
5、どちらも悪者ではない
仲間から力を奪い、多くの命を危険に晒し、小黒をほとんど殺した。と、いうのは間違いなく、間違いである。
洛竹のあの悲痛な説得よ…… あのシーンで私は洛竹を推さざるを得なくなったのですよ松岡さんありがとうございます 拝……!!!!
それでも、彼らは「悪者」ではない。
間違ったけれど、「悪者」ではなかった。そういう風に描かれている。
捨て鉢になって攻撃的になって命を粗末にして、より生き延びられる(可能性が高いと思われているらしい)道を阻害はしました。つまり、「マイノリティの中のマジョリティ」が選んだやり方以外を選択した。
でもだからといって、それ自体を責められない。
間違うには間違うだけの経緯もあった。
などなどのいろいろを含め、「許せないし認められないけど、悪者の型には絶対に嵌めない」という制作のスタンスよ…………。
风息が元来、「命を粗末に」するようなキャラクターではないということ、それはもう、全くないということは、冒頭の離島での闘いですでに描かれていた。(よね? 私の記憶違いでなければ)
だからもう、ひたすらに、悲しい……。
悪者がいない。
「どのキャラも憎めない」とかではなく、本当に、悪者がいない。
いるのは、譲れないものを抱え、命と生活と尊厳を背負ったマイノリティだけ。
つら。。。
そんで风息が、館にいくことを拒んで貫き通した最期の願いが何であったのか、を、思うと、
私はもうダメです…………あまりにささやかじゃないですか…………
帰る場所がない、というのは、本当につらいことです。
ところで冒頭で风息が、小黒に居場所を与えて「この中に入っておいで」ってする一方で、无限は自分の心の中のあの場所に「絶対に入れない」と言う。結構な対比だなと思うのですが、そのどちらともが、小黒には等しく必要なものだった、というのがまた最高です。最高です。
はぁ…………
6、无限というキャラ
『羅小黒戦記』、徹底してマイノリティが描かれており、「元凶であるマジョリティ=人間」は、ほとんど描かれていない。
というか、その構造的暴力性への自覚や主体性が描かれていない。人間など、ただのモブでしかないのだ。
でも、そうやって意識すらさせない=正体をバレないままでいることが生存戦略なので、そうであるというのは、妖精たちの望みでもあるんだけど……
……という中での、无限である。
无限、自分の意思やスタンスや選択したものや、その選択に至った思考や過程を、まっっっっっっっっっっっっっっったく教えてくれないので、わからないのだが、
しかしこのマイノリティたちの物語の中で唯一、状況への理解と責任と干渉する意思を持ったマジョリティ属性である彼が、あのように描かれたというのは、とても意味のあることだなぁと……思います……。
迫害を行った側である人間をどうにかすることが不可能である以上、「館」システムを円滑に機能させることが現状唯一の、妖精たちの生きる道である。
人間でありつつ、と描かれていたけれど、人間だからこそ、せめて、そのシステムが円滑にはたらくように努めようとするのは、責任と意志だと思う。
傲慢ではある。
めちゃくちゃ傲慢ではある。
が、傲慢への自覚もまぁあるから、彼は「館」で築かれている妖精たちの輪の中に入ろうとしない。
旅を続けに続けて、帰るべき家を持たない。
帰る場所がない、というのは、本当につらいことです。(2回目)
でもそういう在り方を選んだのだなぁ……。
それは贖罪とかそういうものではなくて、こう、ただ彼の筋の通し方であり、けじめとか、自らに向けての覚悟の証とか、そういうものなのかなと思いました。
その、自分で選んだ「寄る辺なさ」が、あんなに可愛くて真っ直ぐな生き物の帰る場所になるっていう、小黒があぁいう選択をしてくれたということが間違いなく奇跡だし、ものすごい幸運であり、幸福だよね……
わぁーーーーーっ无限さんよかったね、よかったね!!!!!!
小黒が会館に留まり生活することを決めたとしても、たまに寄るくらいのことは本当にしただろうけど、「自分と小黒との縁はここまでだ」と、无限さんはあの別れのシーンでは思っていたはずなので。
おめでとうーーーーーーありがとうーーーーーー*^^*
はぁーーーーーー
書きたかったことは、以上です。
400年前の前日譚と、数年後を描写したらしいアニメ(本編? 大元?)があるのは存じています。
少しずつ追っていきます。中国語をがんばるぞ。
そして映画『羅小黒戦記』、もうあと10回くらい観たい、浴びたいです。
本当に良作でした。観られてよかった!
製作のみなさま、ありがとうございました。
おしまい。
※2021年1月現在、映画『羅小黒戦記』を私はもう一度観たし、もう一度しか観られてないけど解像度たぶん深まってるし、webアニメも観たし『藍渓鎮』も途中までですが読んでいるのでちょっと感想加わっている部分もあるのですが、それはまた後日、別の記事にて……。
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