不登校に寛容でいたかった話と、逆に考えた話。
現状
我が子、現在7歳。小学1年生。
どうやら学校に行くのが難しい様子。
この頃、登校時間の直前になって「気持ち悪い」と言うようになる。「おなかがへん」「吐きそう」など言い方は様々だが、だいたいそんな感じのセリフに落ち着く。
世はコロナ禍、真っ最中。
連日、感染が確認された人の数は最高記録を更新し、学校は「無理に登校させないでね」とお知らせを配布し、道では自治体の出している拡声器付きトラックが、感染拡大防止のために個々人ができることをできる限り気をつけるように、みたいなことを言いながら走っている。
そんなご時世なので、わたしも無理せず「OK、休もう」と言ってきた。
わたしが休むこともあるし、夫が休むこともあるし、その辺もどうにかこうにか、バランスをとりつつやってこられていると思う。
病院には一応行ったりもしたのだが、「異常なし」「おなかがちょっといっぱい動いているような音もするけど……」という感じで、特に心配する点はなし、せいぜい「ちょっと消化にいいものを食べるようにしてもいいかもしれませんね」と言われるくらいで、胃腸薬や整腸剤の処方すらないレベルだった。
(そしてともかく、このご時世なので、異常がないのであればあえて病院に行くのもね……ということで、病院は初回にしか行っていません)
ちょっと疲れてるのかな。
たまにはゆっくり休んだらいいよ。
そんな風に思っていたのだ、が。
どうにも、最近休みの頻度が高い。
数えてみた。このひと月で、5回ほど欠席している。
ちょっと多くないか……?
思うに、ただでさえ「新しい環境」「すべきことがいろいろある状況」「”正しさ”の求められる環境」で、頑張りすぎてしまう我が子。
政治のグダグダのせいでケチつけられまくりの状態で新1年生になり、その上、コロナへの不安は日々右肩上がり、鰻登りの状態。
環境へのプレッシャーにコロナへのそれも重なって、いま7歳の心の中、めちゃくちゃ大変なことになっているのでは??
ということで、喘息で定期的に通っているかかりつけの小児科の先生がいるので、ご相談してみた。
かかりつけ小児科医に相談
現在は、なんの不調もない場合は保護者だけ診療(問診)が許可されているので、子の耳がない環境で自由に相談ができ、助かりました。
思えば我が子、
幼稚園のときは急にお弁当が食べられなくなってお昼の時間になるとときどき吐くようになってしまったり、
「長い靴下じゃないと」と言って靴下をめちゃくちゃ引っ張り上げたり、
今も「靴下の履き心地が曲がっている気がする」と長々と直していたり、
靴のマジックテープのきつさ具合が左右で違うのが気になる、ちょっとゆるい気がするのが気になる、としつこく調整していたり、
出発前に「もう一度チェックしよう」と言って持ち物一斉チェックをはじめたり、
と、なかなか繊細な子なのである。
とはいえ日常生活に支障を来すほどではなく、日頃はむしろおおらかでテキト〜なところも多くある子なので、保護者の自分があまり気にしすぎないように……と考えていたのだ。
気にしすぎないように、しすぎていたのかもしれない。
そんな反省も込めての現状の相談をしたところ、「学校に無理に行かせるのはよくないけど、行かないと行かないで、”行けない”ことにプレッシャーを感じるタイプかもしれないね」とのこアドバイスが返ってきた。
たしかにうちの子、そんなイメージ、あります。
さすが6年のお付き合いのあるかかりつけ医、理解も深いです。
かかりつけ医からもらったアドバイス及び決めた方針は、
- 無理に行かせない
- でも完全に休みにしてしまうとそれもしんどくなってくるかもしれないから、遅刻とか早退とかもOKみたいにしておく
- それに伴い、学校の先生にも相談して話を通しておいた方がいいですよ
という感じの3点。
なるほど、参考になります。という心強さを感じた。
この相談をしたのが、先週の土曜。
「よし、今後こういうことがあったら、そういう風に対応してみよう!」と、イメトレをして迎えた翌週月曜に、
7歳、さっそく「お腹が気持ちわるい」と不調を訴えてきた。
……早い!!
月曜の様子
正直、ご飯を食べている段階からもう静かだった。
でもそれより前は、余裕のよっちゃん、楽しそうに漫画を読んだりして朝食までの時間をつぶしていたのだ。
(うちの子は早起きで、早く起きられた朝は、朝食まで好きなことして遊んでいい、としているのです)
朝食前の様子を見て油断していたので、焦る私。
「無理には行かせない。でも、行けるようなら行ったほうがいいのでは?」という方針のもと、「そっかー、いつから調子悪い? ちょっとがんばれそう?」など様子伺いみたいな真似をする。
同時に、あらためて体調チェック。
咳なし。熱なし。息苦しそうな様子、なし。
しかしほのかに顔色は悪く、手指が冷たい。
所感=「(これは……ものすごく、緊張しているように見える……)」という感じ。
あまり強気ではない私の「そうは言っても、一応行くだけ行ってみたら?」という説得には応じず、「行けない」「無理だと思う」「今日は休もう」と、繰り返す7歳。
えー……と煮え切らない私の前で、ついに7歳、本当に嘔吐に至る。
そこで「あ、これ無題だ。」と私も判断。
実際に嘔吐もある中では早退という選択肢も選び難く、土曜に決めた方針から早速変更、欠席となりました。
「その後も調子が悪そうであれば病院に……?」と考えるも、昼近くなると元気復活、もう、完全に復活してめちゃくちゃ元気で、夕飯なんておかわりを所望するくらいの復活を見せたので、病院には行かなくて大丈夫だったと思う。
「明日は行けそう?」と聞くと、「そうだねー」と7歳。
じゃあもう仕方ないな! と、その夜は、いつもより少しだけ早く眠りについたのでした。
ところが、火曜。
この日も、朝食前はとっても元気。
だったのだが、朝食になると、やはり静かになる。
「あ……これはまたやばいのでは……?」という私の予想通り、朝食後、やはり「気持ち悪い」との訴えが出る。
顔色が微妙に悪い。そしてまた手指が冷たくなっている。
あぁーーーーーー今日もダメだったかーーーーーーと、頭を抱える私。
しかし、もう「とりあえず行くだけ行ってみよう、早く帰ってきてもいいから」という交渉を前日に失敗している私は、説得を試みたのです。
が。
「無理だよ」「学校行きたくない」「休もうよう」「明日は行くから」などの言葉を尽くし、静かに、しかしボロボロと涙を流しながら「休む」を要求する7歳と、話すこと15分。
「じゃあゆっくり行く」という言葉を引き出すことに成功し、「遅刻していく」という成果をゲット。
(朝の15分て、めちゃくちゃ貴重なんですよ?!)
(でもその15分が捻出できるくらい、7歳はこの日もがんばって、学校に行くための準備をしていたのです)
土曜に小児科医と話したこと、「コロナ対策のこともあり、気を張りすぎていて多分気持ちが疲れているので、ちょっとゆっくり見守りたい」ということなどを担任に伝えるべく大急ぎで手紙を書き、遅刻のための処理を高速で行う私。
朝って、本当に時間との戦いだ。
我が子の学校、欠席や遅刻や早退の際は、学校に電話連絡するのではなく、指定の書類に必要事項を書き込み、登校班の班長さんにそれを渡し、届けてもらうシステムが採用されています。
(非効率だし、班長さんの負担が大きいのでよくないと思う)
毎朝、出発のギリギリまで不調を訴えないもしくは行くか行かないかのせめぎ合いをしているので、班長さんにその書類を届けるのが、ギリギリもしくは2分くらいアウトの時間になってしまうのが、心苦しい……。
「遅くなっちゃってごめんね、今日は早退していくので、これをお願いします」と集合場所まで書類を渡しに行ったとき、後ろの方にいた班の誰かから「やっぱりねー!」という声が上がったのが、なんだかショックだった。
やっぱりねー、と言われるくらいしょっちゅう休んでいるんだな、ということとか。
時間ギリギリになってしまって申し訳ないのは本当に申し訳ないんだけど、うちの子、むしろ遅刻しないようにとっても早起きして、朝の分刻みのタイムスケジュールを自分で時間見ながら「もう**しなきゃ!」「先に歯磨きする!」って気にして頑張っていて、忘れ物しないように出発前に持ち物確認もして、それでもこれまでは集合時間の5分前にはいられるように部屋を出ていたんだよ。
学校でもいろいろ間違えないように慎重に周囲の空気を読んで、”ちゃんと”できるようにしっかり先生の言うこと聞いて、気を張ってたんだよ。
遅刻ばっかりの”だらしのない子”ではないんだよ。
そういう気持ちが、ぐわーーーっと沸いてしまって。
全部笑って「ごめんねー、行ってらっしゃいねー」って隠したけど。だって書類持ってくる時間がギリギリとか遅刻になっちゃったのは本当だし、その子に何か言いたい気持ちがあったわけでもないし。
ただ、ただこれまで「時間にだらしのない子」と判断されてきたような子達の中にも、きっとうちの子みたいな、むしろ生真面目でそれまでずーーーっと張り詰めて頑張ってきて、頑張りすぎて無理になっちゃった子とか、いっぱいいたんだろうなと思って、やるせない気持ちになっただけ。
社会って難しい。
不登校に寛容な私でいたかった。
繰り返すようだが、コロナ禍である。
私は現在の、マスク着用と手洗いがこれまでより厳しく行われるようになり、教室が換気されている”以外は、今までと一緒”の小学校生活の実施に、心底から反対している。
教室では、子どもたち同士の間隔は当然1mもあいていない。
体育は「屋外だから」「運動するから」という理由で、密状態でもマスクすらつけていないこともある。(屋外で”距離を取れる場合は”マスクをしなくても大丈夫、なのであって、距離を取れないならマスクはやっぱりあったほうがいいはずなのだ)
そんな状態で「今まで通り」の学校生活が営まれているという状況は、はっきり言って異常だ。
正直、子どもを学校に通わせることに葛藤がある。
行かないで済む日は行かせたくないし、こんな無策みたいな無防備な状態に子どもを置くくらいなら、学校に行かないでも大丈夫な環境をつくって欲しいと思っている。
「せめて分散登校にしてほしい」とか、「不安があるから登校を控えたいという子のこともフォローできる環境をつくって欲しい」とか、「厚労省が言ってる感染拡大予防のためのポイントを学校が無視するというのはおかしいと思う」とか、自治体に声を出したことがあるのだけれど、ズレた返答や「子どもには学ぶ権利があるという点、ご理解ください」みたいな舐め腐った煽りみたいな返答しかなくて、本当に信用できねぇなって思ったし。
感染症対策に不備のある環境に通わせないと学ぶ権利が阻害される、というのは、すでに侵害された状態なので。
子どもの学ぶ権利を理解してないのも、侵害してるのも、行政のほう。
「命か、学びか」って選択肢を保護者に、ひいては子どもたちに突きつけて憚らないの、ひたすらに異常なので。
「三密」の、密は三つ揃っちゃわなきゃ別にいいだろみたいな雑な解像度で学校運営がなされていること、
それは学校の責任レベルではなくて、自治体、いや自治体すら越えて国という階層によって作られたシステムのせいであることを思うと、結構絶望的な気持ちにもなっているし。
そういういろいろもあって「学校に通わせないですむなら、通わせたくない」うえ、もとより「どうしても行きたくない学校なら、無理に行かなくていい。と言える保護者でありたい」と思っていた私だ。
今こそ、そのスタンスを発揮するべきときではないか?
子どもの学びと、安心していられる状況を守れるよう奔走すべきでは?
不登校に寛容な私でいたかったのだ。……いや、でも小学校1年生って、ちょっと早くない?
あんなにずっと思っていたのに、いざそのスタンスが必要なのかも、という局面に立つと、こんなにも「いや、やっぱちょっとどうなんだろう……」と迷ってしまうとは。
不登校に”寛容”でいたかった、だなんて。”寛容”なんて言葉をふと選べてしまった時点で”お察し”、という感じだったのだろう。私の意識なんて、所詮。
寛容って、ねぇ。どこから目線だよ、という。
自分の認識の甘さと傲慢さに、「あぁ……っ!」となる。まったくもう……。
不登校、難しい。
難しいポイント1;仕事
我が家は共稼ぎです。
小学1年生、当然、ひとりで留守番などさせられません。
学校に行かない=平日の昼間、子どもはどこにいたらいい?
保護者のうち1人が平日在宅できる状態にならないと、不登校のしようがない。
片親の失職が最低条件って、もうこの時点でハードルが高い。
物理条件の、いっこめでもう詰んでいる。
難しいポイント2;学習
子どもが他人だったら、「勉強は教えられるし!」って言えたと思う。
でも、我が子はたぶん無理。
誰にとっても無理、とは言わないけれど、たぶんめちゃくちゃ難しい。なぜなら自分の子どもだから。
このへんの感覚を言語化すること、私にはちょっと難しいのだが、「教える」という行為をする育児者になら、結構伝わる気もしている。どうだろう。
子どもにとって保護者は、「勉強」からも自由な場所にいられたほうが、安心感や「いざというとき頼れる」感、そういうものの強度が増すと思う。
難しいポイント3;体力
子どもの運動に、私はついていけないと思う。
運動、得意になってくれなくてもいいのだが、体育の授業はめちゃくちゃ必要だと思っていて、つまり体力の低下が心配です。
体を動かすこと自体も大事だし、体の動かし方を学べる機会って、本当に貴重だと思うので。
そういえば運動神経が「良い」とまでは言えない我が子、しかしとってもポジティブ。
「幼稚園の時はn段しか飛べなかったとび箱が、n+1段飛べるようになった。だからもうすぐn+2段も飛べるようになると思う」という手紙を、夫宛に書いていた。
実際に飛べるか飛べないかはわからないけれど、在宅ではとび箱チャレンジはできない。
習い事に行かせることでカバーはできると思う。
しかし金銭的ないろいろもあるし、何せコロナ禍、原則屋内で実施される習い事対応では、確実に「できること」に限度がある。
不登校での子どもの体力低下は、不安である。
難しいポイント4;おともだちとの遊び
我が子にも、学校で遊ぶお友達はいる様子。
しかし、ともあれ、コロナ禍である。
お友達のおうちに遊びに行くとか、うちに呼ぶとか、そういう経験がない。
そもそもご存知の通り、6月まで小学生たちは学校に通うことができなかった。
我が子は今年、新1年生になった。
つまり幼稚園までのお友達とは別れ今年は、基本的に知らない子だらけの環境に置かれている年なのだ。その状態で2ヶ月も学校がなく、みんなで取り組む行事もほぼ何もない。
そんな状況で学校にも通わなくなってしまったら、お友達ができる・遊ぶ、という選択肢を失ってしまうのではないか?
選択肢のある状況で「お友達とは遊ばない」を選ぶなら、まぁ、いいのだ。
でも選択肢がないとか、その選択肢を選ぶのがめっぽう難しいとか、そういうのはよくない。
なお、「そういえば全然知らないな」と思い、フリースクールとか不登校の子の居場所事業をやっているところはあるかとか、調べてはみたのだが、全滅でした。
あるっちゃあるけど、あまり現実的ではない距離。
ままならない……。
本当に、ままならない。
しかし、逆に考えれば。
パッと思いついただけでも、上述の4点が難しいポイントだ。
難しい、と書いたが、実際は「これクリアできないと不登校無理」なものも含まれているので、無理ポイントと言って差し支えない。
不登校、もしさせてあげたいと思っても、現状無理だ……。
……となったのだが、ここまで考えて、転換が起きた。
それさえクリアできれば、別に不登校、いけるな。と。
子どもをどう育てるか、と考えたとき。
たとえば「自分のことは自分でできる子になってほしい」とか、「将来つきたい仕事ができたときに、その仕事がちゃんと選択肢のひとつになれるような状態であれたらいい」とか、いろいろある。
そういういろいろの達成のために、「時間割を自分で揃えることで、自分のことを自分でやる練習にしよう」とか、「自分の気持ちや考えを言語化する練習のためにも、国語や算数の授業はトレーニングになりそうだ」とかがあるわけで、
つまり達成のために辿る道筋は、そのデザインと整備ができそうなのであれば、別に定型通りである必要はないのだ。
まぁ……簡単ではないのでしょうが……。
そして積極的にそれを選べるほどのポジティブさも、私は持ててはいないのですが……。
しかし、本当に何度も繰り返すけれど、コロナ禍である。
たとえどれだけ学校が楽しい場所だったとしても、学校に行きたくない、という感覚は、ある意味とても真っ当で、間違ってないのだ。
「学校に行きたくない/行けない」という子どもたちに対し、もう10年単位でまったく対応できていない本邦なので、私がひよって不安になってしまうのも仕方ないのだが、7歳の今感じている不安、難しさは当然のものであって、抱えて当然のものだ。
「この4点クリアしたらいける」気持ちと、「7歳は間違ってない」という気持ちだけは、いつでも取り出せる場所に大切においておこうと思う。
明日、もしかしたらまた「お腹が気持ち悪い」ってなるかもしれないし、もしかしたら逆にケロッと学校に行きだして、「早く学校行きたい!」ってなるかもしれない。
どうなることやら、本当に、全然わかんないけど、どうにかうまいことできますように。
あーーーーーー
非課税の5億円があれば、だいたい解決するのにな。ちっ。
おしまい。
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