わたしは殺されなかったので

わたしは殺されなかったので

渋谷区で、ホームレス状態にあった女性が殺された。

この起こってはならない事件を想起させつつ、「殺されたのはわたしだったかもしれない」という同調と、同時に、自分も”殺した”側のものでもあるという立場性に言及した文章を読んだ。

その文章に、及びその文章を書いた人に対し批判をしたいわけではない。

しかしこの文章はわたしにとっては危険だ、と警鐘みたいなものが鳴り響き、今この文章を書いている。


自分の気持ちを整理するために。

あの文章を否定するためではなく、ただ、自分の立ち位置の確認をしたい。


所信

殺されたのは、わたしだったかもしれない。

けれどわたしは殺されなかった。


物心ついて最初に人の悪意に跡をつけられたとき、わたしは幼稚園生だった。

得体の知れないものに顔を埋めさせられたときも、わたしは園バッグを肩にかけ、園の制服のベレー帽をかぶっていた。

そのまま殺されていても不思議ではなかったけれど、わたしは殺されなかった。


はじめて、自分の尊厳が汚損されていると明確に理解しながら笑顔を振りまいていたとき、わたしは小学生だった。

そのまま殺されていても不思議ではなかったけれど、わたしは殺されなかった。


終電もすぎた深夜の繁華街で、すぐ隣の誰かが「殺したい、殺したい、ぶっ殺したい」と呟き続ける様子に恐怖しながら、必死で聞こえないふりをして静かにその場を離れ、けれどその後しばらく跡をつけられ懸命にコンビニやファミレスに居座って夜をあかした高校生時代。

あの夜だって、そのまま殺されていても不思議ではなかったけれど、わたしは殺されなかった。


仕事からの深夜の帰り道、わたしの後をつけるようにゆっくりと走っていた黒のワンボックスカーが、ついに道を塞いで止まり、ドアが開いたとき、もし目の前にあるのが自宅で家族がドアを開けてくれたところでなかったとしたら、そのまま殺されていても不思議ではなかった。けれどわたしは殺されなかった


保険証もなく住所不定無職、全財産が100円もなくて知人の住処を転々としていた日々、なにかがまかり間違っていたらそのまま殺されていても不思議ではなかったけれど、わたしは殺されなかった。


マイナス14度の夜の雪山でひとり、大の字になって空を眺めたらとても綺麗だったあのとき、あまりにも自由すぎて、そのまま自分で自分を殺していても不思議ではなかったけれど、わたしはわたしを殺さなかった。


殺されてたのはわたしだったかもしれないし、いつかの今後に殺されるのもわたしかもしれないけれど、ともあれ、殺されなかった。


殺されなかったわたしは、けれど渋谷区のバス停でただ身を休め夜を明かしていただけの女性を「殺す社会」に生きている。

「殺す社会」ではないといいと願いつつ、その達成にはまだ至っていない。

「殺すもの」の一端に所属する形で生き残ったわたしが、殺されるものとして同調するのは甘えである。

わたしにまず必要な自覚は「殺す社会の一員であること」の方であって、その意識の純度を下げることで、まるで免罪され得るかのような道を自分に用意してはいけない。

命と健康のためでないのなら、保身に走りたくない。命と健康のためなら、全力で保身にも走るが……


いま構造として「殺すもの」として加担してしまっている、そういう社会を打開しきれていない状況がある。

そういう社会に暮らす大人であるという、それだけで加害に対し責任ある立場だというのに、被害者側と同化して見せるような語りは慎みたい。

少なくとも、わたしに家族があるあいだは。


わたしはわたしを見ているし、この社会に生きる子どもたちはどこかで、いつでも、わたしも含めた大人たちの背中を見ている。

自分が大人という責任ある立場であることを、忘れてはいけない。

子どもたちが見ていることを、絶対に忘れてはいけない。



所信、おしまい。




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